eigonだって泳ぎたい あひる解剖学

あひる解剖学 hatta method  * BODY WORK

業務連絡  / ジャッジしない。 

おはようございます。

今週は、数日青森、盛岡にてレクチャーさせて頂きます。
不在中、メールの返信などは遅れますので、よろしくお願い致します。



数日訃報がありました。

娘の同級生のお父さん。舞踊団の先輩。お二方共癌でした。
若過ぎる死にただ残念としか言えません…。


人間とは愚かなもので、人の死とか自分が病気になった時に、健康とか、不摂生、食とか、タバコ、飲酒等々色々考えたりします。こういう出来事は警告でもありますが、そうもしないと動けないのはなんだか情けなくもありますne。

喉元過ぎたら…にならないよう、毎日を大切に過ごしたいです。
やはり娘が相当ショックを受けているので、無論彼女の為にも元気でいられるように。。! です。
結局、今を、一瞬一瞬を生きる事しか出来ないわけですが、生きてこそ、です。元氣でいてこそです。はい。


故人との良き時間を大切に、教えられた事を思い出し感謝ながらご冥福をお祈りします。


〆(。。)本日のお言葉  by OSHO

あなた自身の内なるガイドになる

 頭で考えてはならない。ほんとうに、まったく考えてはならない。ただ動きなさい。ある状況において、これを試してごらん。しかし難しいだろう。なぜなら古い習慣で、あなたは考え始めるだろうからだ。醒めていなければならない――考えずに、そして何がマインドにやって来るか、内側を感じているように。何度もあなたは混乱するだろう。なぜなら、それが内なるガイドから来ているのか、マインドの表面から来ているのか、あなたにはわからないからだ。しかしやがて、その感覚と、違いを知るだろう。

 何かが内側からやって来るとき、臍から上向きにやって来る。臍から上に向かって来るその流れを、暖かさを、あなたは感じることができる。マインドが考えるときはいつも、それはほんの表面に、頭の中にあって、そこから下におりてゆく。もしマインドが何かを決めたなら、あなたはそれを無理やり下におろさなければならない。もしあなたの内なるガイドが決めたなら、何かが内側にわき上がってくる。それは、あなたの実存の深い中心からマインドへとやって来る。マインドはそれを受け取るが、それはマインドのものではない。それは、彼方からやって来る――だからマインドはそれを怖がっているのだ。それは信頼できる。なぜなら彼方からやって来るからだ。何の理由も、何の証明もなくても、それは確かだ。それは、ただわき上がる。

 あなたがある状況で頭を悩まし、どのようにぬけ出したらよいのかわからないときはいつも、考えてはいけない――ただ、深い無思考の状態にいて、内なるガイドがあなたを導くのを許しなさい。最初は、心配で不安に感じるだろう。だがやがて、正しい結論にたどり着くたびに、正しいドアに到達するたびに、あなたは勇気を集め信頼するようになるだろう。

 もしこの信頼が起こるなら、私はそれを信仰と呼ぶ。これがほんとうの、宗教的な信仰だ――内なるガイドへの信頼が。理由付けはエゴの一部だ。それは、あなたがあなた自身を信じていることだ。自分の内側に深く入って行く瞬間、あなたは宇宙の魂そのものにとどく。あなたの内なるガイドは、神性なる導きの一部だ。それに従うとき、あなたは神性なるものに従っている――自分自身に従うとき、あなたはものごとを複雑化し、そして自分が何をやっているのかもわかっていない。あなたは自分がとても賢いと思っているのかもしれない。でも、そうではない。

 知恵はハートからやって来る。それは知識には属さない。知恵は、あなたの実存の最奥の深みからやって来る。それは頭のものではない。頭を切り落とし、頭なしになりなさい。そして実存に従いなさい。たとえそれが何であろうと、それがどこに導こうとも。たとえそれが危険の中に導こうとも、危険の中に入って行くがいい。なぜなら、それがあなたの道であり、あなたの成長だからだ。その危険を通して、あなたは成長し、成熟する。



▼あ、決して宗教のすすめではありません。笑 私自身は無宗教です。それもどうかと思いますが。敢えて言うなら人類教ですかね。笑

>知恵は、あなたの実存の最奥の深みからやって来る。
何かを感じた時に動く、お腹の底から沸き上がる熱いもの、というのは誰でも経験があるのではないでしょうか?理屈ではなく意識的では無いもの。
それこそが人間本来持っている実存なのかもしれませんね。
頭で考えるとろくなものではないですね。笑
深い内容で???かもしれませんが、本質をついているような氣がしてご紹介してみました。色々な角度からアプローチして自分を磨きましょう。
いいも悪いもなく、否定も肯定もしない。

ジャッジしない。

最近実践していることです。結局すべてのことは自分が決めているに過ぎませんし、無意識に人はなにかとすべてのことをジャッジして過ごしています。すべてにいい悪いや品定めをしています。浅はかなことが多いですよね。
自分に対しても他人に対してもものにも出来事にもジャッジしない。それは非情ではなく、平常心で心穏やかに人や自然を感じるということに繋がると思います。難しいけど、穏やかになれるとやはりいい毎日を過ごせます。



引き締まる思いの朝です。
今日もhappyに、合掌の一日をm(._.)m