eigonだって泳ぎたい あひる解剖学

あひる解剖学 hatta method  * BODY WORK

心に沁み入る言葉:ゲーテの言葉

またまた数年前のお勉強のノートに羅列して書いてあったことば。もうすっかり忘却のかなた。。。人間とはこうも忘れて行く生き物なのね。。。
おそらくその時は、ゲーテにはまっていたんでしょうね。にしても深いい言葉です。


人間のあやまちこそ人間を本当に愛すべきものにする。
運命:個々の人間はひとつの性格を完全な形で持ち得るものではありません。それでは生きる事ができないでしょう。生存する為には人は雑多な性質を持たねばなりません。
完全なるあいまいさ:実り多いものだけが真実である。
最小にして最大:感覚はあざむかない。判断があざむくのだ。
こころのままに:自分の好きなように世界を知るがいい。世界は常に昼の側と夜の側を持っているだろう。
二面性:大きな必然は人間を高め、小さな必然は人間を低くする。
自然であること:業務の重荷からわれわれを解放する事が出来るのは、良心的な実行だけである。
攻撃は最大の防御:利己的ではない好意的な行いが最も高い最も美しい利子をもたらす。
思いやり:豊かさは節度の中にだけある。
度を過ぎない事、中庸:神聖な真剣さが生活を永遠にする。
一瞬への集中:なんでも知らない事が必要なので、知っている事は役に立たない。
ベクトルを持つ事:思慮を欠いた事をすると、始終逃げ道はないかと探していなければならない。
バランス:記憶は消えてしまってもよい。現在の瞬間の判断があやまらなければ。
世界が曇っているのではない。お前の目が曇っているのだ!


最後のはど=====〜んときますね。
読み返すと、深いな〜と思う事ばかりです。ゲーテしゃんありがとう〜〜!死してなおあなたの言葉は生きています。すんばらしい〜〜!!
>大きな必然は人間を高め、小さな必然は人間を低くする。
というのは、今最大の関心事です。その判断を誤らない様にしないことです。ここは難しい所です。
まずは小さな必然に惑わされず、振り回されない、ズームインしないことです。それは本当に他愛のないことだと思います。そこに執着すると前進は無いと思った方がいいし、時間も労力も無駄です。からだの故障や病気もこれにあたりますよ。
大きな必然、これに向かうのも実は勇気はいると思います。中間の必然もありそうなものですが、今までの私の経験では二つしかない、というのが結論です。まあ例外はありますがね。
すべてにおいての二極は、結局表裏一体でわれわれを惑わしながら、それでも何かを教えようとしていて時として渾然一体となって挑んで来ている気がします。
闇と光。悲しみと喜び。怒りと感謝。生と死。健康と病気。明るさと暗さ。静と動。男と女。起きていると寝ている。吸うと吐く。交感神経と副交感神経。動くと止まる。アドレナリンとノルアドレナリン。前進と後退。上と下。上昇と下降。開くと閉じる。静寂と喧騒。高いと低い。天国と地獄。白と黒。赤と黒。秩序コスモスと混沌カオス。。etc.
すべては二極。でもどっちも必要。そこに気づくと物事の二面性は絶対的に必要だという事に気づき、どちらかに陥った時そこで悩む事もない。二面性があるからこそ人はバランスがとれるということ。問題はそのバランスのコントロール操作を誤らないように、です。例えば混沌とした世界にいるのが心地よい方もいらっしゃいます。価値観は個人の問題ですが、その価値観の中でやはり他者とはバランスをとり、認め合った上である場所や時間では、それぞれが成り立つ節度を持ってコントロール操作をしているわけです。
最終的にプラスマイナスゼロになる所に目指しているようで、実は始めからゼロで、ゼロになにをかけてもゼロで、ゼロ同士の集まりであり、ゼロに始まりも終わりもなく、それは捉えられない一瞬でもあり、無常で永遠でもある。だから、ゼロ自体を楽しむといいのだと思います。
そうですね、やじろべえのようです。中心で止まったやじろべえはなんだかつまらなそうです。不安定が楽しい。あ、不安定って中間の必然?グレーってこと?おかまちゃんは楽しいよね。楽しんごが楽しいのはそういう理由かもね。あは。LOVE注入!
人間関係も物体も規則やきまりも壊すのは簡単ですが、築くのは難しいのです。からだも心も柔らかいものを築こうと思います。flexibleなでっかいでっかい器をね。

>なんでも知らない事が必要なので、知っている事は役に立たない。
とは、知識はあった方が断然いいわけですが、知っているというおごりや傲慢、知っていることで新鮮な気持ちが無く安定を求めるがゆえにつまらなくしてしまう危険性を言っていると思います。ここでも不安定が出てきましたね。愛がそうです。不安定こそ燃えるのです。ぎゃはは。あ、すいません、神聖な真剣さが足りませんでした。(あ〜あ、結局こんな風に崩れる私がどうしようもないねん。。。お許しを。まじめなんだかふまじめなんだかふまじめです。とほ、逃げなんだ。)
でも、そや、恋愛は赤と白の間のピンクや。だから中間て不安定で燃えるんや。なんの確認?


少し話は変わりますが、昨日のレッスンで、ある方が、(そうおまえだっhiropiro~~。いや言わないよ。うしし。)ほんのちょいと私によくない言葉をお吐きになり、「先生おこってない?」って帰り際に聞いてきたのですが、ほんまにじぇんじぇん怒っていない自分がいました。多分うん十年前なら「絶交」ぐらい吐いてたかも。それくらい人間の中身が全く出来ていませんでした。今はその時にくらべたらましです、まし。
実は私の戸籍上の相方は、(すごい言い方だねわれながら。がはは、まあそこはスルーして下さい)無口で殆ど怒らないわけです。仕事でも家庭でも今までの人生でも。怒るとしても半年に1回ぐらい。。。みたいな感じで。それにひきかえ、私は一年中何かにいらいらしたり怒ったりしていたわけで、なぜ自分でもそうなのかわからないし、怒らない彼がとても不思議でならず、結婚当初に彼にどうして怒らないの?と聞いた事があるんです。すると、「怒るという感情がよくわからないし、例えばあなた(私)が怒る事の大半はボクの中では怒るに値しない」というのです。つかさず私が「じゃ、怒るに値するのは何?」と聞くと、「家族が殺されたり、誘拐されたり、そんなとこかな」って。ん〜〜〜〜その時はこの人は凄いとね。
で、今現在の私は。まあ年とって丸くなったのもあるとは思いますが、敢えて言うなら「怒る」とは自分に対してだけで、他人に対してはなんの意味も持たないし、怒る時間や労力を考える暇も無いくらい、「楽しい」ことやきらきらな事が次から次に頭にやってくるので、「よの辞書に怒るはない」くらいの勢いなんですね。不思議なくらいです。きらきらが多すぎて「おこる」という文字が見えませんよ。いつしか私も「怒る」という価値観が変わりました。
だから、彼女の「先生、怒ってない?」の答えはごく自然に「NO」です。
もし「そうは言ってもね〜〜、怒ってしまいますよ、、」という人にはですね、無理矢理ですが、相手を子供とか赤ちゃんだと思うとラクですよ。そうすればおそらく何を言われても怒ることはないし、逆に可愛いと思えるほどに変わります。別に上から目線とか比較論じゃないですよ。怒るのは自分がまだまだ魂のレベルが低いことで、怒らせている相手は神の使いの者と思えばいいのです。鈴木さんという名前、鈴木さんというキャラ、それに惑わされているだけです。覆面をかぶった神様と思って下さい。神様という固有名詞がいやならなんでもいいです。天使でも向井君でも旬君でも松潤でもリチャードでも。はい、そこ長いから。(あ、鈴木さんは日本に一番多い名前だからで何の意味もありません、ごめんなさい鈴木さん)
これも訓練すれば克服するだけのことだし、精神的なことというのは、実はすべて自分自身のことで他人事ではない、「あの人のせいでこうなった」「あの人さえいなければ」なんて他人を基準に考えるから変な事になる。あの人は自分。自分に置き換えると、「自分のせいでこうなった」「自分さえいなくなったら」ほら、変な事どころか大変なことになるんです。だから、すべては自分の勉強。他人を思えば自分はきちんと存在するからね。そこんとこよろしく、港のヨーコさん。


なんだか今日もとんでもなく長くなりましたが、書き出すと止まらなくなります、なんでしょう?
なにしろです、人間というのは人生でなにかしらにつまづきがちですが、、、
もし何かにとらわれて動けなくなったら、深く考えずに動いてみるといいです。机上の空論は殆どが悪い方向へいきがちです。動けば考えていた事なんて大した事ではなく、空を仰いでみるだけでも、固定概念にとらわれている自分が解放され、視点を変えて心の自由を楽しむ事が出来たりします。そういう智慧があればきっと長く生きる事を楽しめるはずなんです。沢山の智慧を体得しましょうね。経験しかありません。思慮深く、愛情や繊細さ、神聖な真剣さを持ち合わせて実践。それが幸せの鍵だと思います。


東京は晴れて気持ちのいい日曜だよ、お父さん、お母さん。

今日もきらきらhappyな一日を!(^◇^)/*:.。. .。.:☆・:*:゚*:.。. .。.:☆・:*:゚