eigonだって泳ぎたい あひる解剖学

あひる解剖学 hatta method  * BODY WORK

腰の手術?いやいや、待ってよ〜〜〜。

おっはようございます〜♪


今日の写真は、いつものような、硬い人がここまで柔らかく〜のではありませんyo。

来た時の痛くてできない前屈。

からの〜〜





彼女は新体操の選手で柔らかいです。でも体の間違った使い方や体の歪みなどで椎間板ヘルニアになり、手術を考えていました。
足がつま先迄しびれ、立位前屈もできない、反りもできない状態。動けなくてずっと練習も休み、日常生活も痛みが伴う状況。椎間板は破れてはいなくて出ているということでした。
でも、病院では、手術するかしないかの選択ではなく、手術する前提で、内視鏡にするかメスを入れるか、の選択を提示しました。
その話をお母様から聞いたのはおとといの日曜日の試合の日です。そして昨日午前に病院にまた行くと言うのです。だから、私は、とにかくその足でいいので私のスタジオに来て下さいと言いました。
そして2時間彼女にあの手この手を入れました。
そしてその結果は写真の通りです、す〜〜〜っとS字が自然とできて立て、しびれも無くなり、立位前屈もでき、ブリッチも開脚前屈もY字バランスもして帰りました。
どうですか、この笑顔。まぶしい〜(ღˇ◡ˇ)♡
会えてなかったら、数日会うのが遅かったら彼女は手術を受けていました。お母様も知らなかったので医師の通りするのがいいかと思っていたと。。。でも手術は避けたかったので、先生に出会えて良かったと言ってました。
体にメスを入れるということは、たとえ内視鏡でもかなり体にダメージがあり、体質も変わったりします。全身麻酔は、元の体の状態に戻るのに細胞レベルで8年くらいかかるといいます。私も舞台中盲腸の手術したのでよくわかります。今でも癒着を感じて生理の時はいつもつれて痛くなります。JKも両膝の手術してからかなり体質が変わり未だにそれと闘っています。ですから、簡単に手術、、という選択をして欲しくありません。しかも、新体操だけではなく、これから結婚、出産などもしていくのです、もう〜〜〜考えて下さいよっ!!!
私も会う迄は他に何か違う症状があれば、、と一抹の不安もありましたが、間違いなく導けて本当に良かったです。やはり経験値だと思います。
しかもしびれは、腰ではなく、座骨神経痛でしたよ。ま〜関連性が無いわけではありませんが。無論ケアと捻り戻しでしびれも無くなりました!
本人もお母様も先生もきょとんとしてました。長い間悩んできたことを2時間で解決しましたから。
何をしたか?企業秘密です!…ではないではない!このブログで紹介していること。背骨を伸ばす、体をほぐす〜ですよ、ハンモックでも腰を伸ばします。ま〜ほぐしなどもポイントはありますが、忠実にそれらをやっています。
でも!!これでいいわけではなく、終わりではありません。
直しても、同じ動き方、生活をすればまた繰り返します。ですから、日々やることは勿論教えましたし、改善の道、体の使い方をこれから継続して教えていきます。
私もぎっくり腰を、今となっては自慢ですが50回以上やっています、座骨神経痛も経験済み。(内側靭帯、アキレス腱炎症、ヒフク筋肉離れ、扁平足、外反母趾、などなど故障の宝庫や〜〜の人ですよ。)だから、腰が痛い状況や、ぎっくり腰にも種類があり、直し方も自分の体でラボしてますので、よ〜〜くわかります。今は殆ど自分で直せます。ですから、あきらめないで欲しいです。
知って欲しいです。直ることを。予防できることを、つきあえること、向き合えることを。
新体操、男女共、実にヘルニア、すべり症、分離症、、ほんとに多いです。でもなってない人も居ます。ということは、シンプルに体の使い方が悪いということです。または、普段の姿勢が悪い、歪みがあるということです。
そういうコは、殆ど脚の力で動いています。それをコアにシフトしなければならないし、歪み直しやケアも施さなければなりません。
小さい頃から染み付いた体の使い方の癖を直すのは容易ではありません。でもしないといつでもまたヘルニアになります。
一日でも早く悪循環から脱して下さいね!
彼女はまだ1年生です。先生の決断も素晴らしいと思うのは、新人戦は我慢しようね。しっかり体を直して改善して来年ちゃんとやろう!とその場で決めましたよ。指導者も素晴らしいと思いました。
こういう指導者と私も組んで行きたいです。いやもう組み始めたのです。笑
理論をしっかり理解し、なんとかしてあげるんだという氣持ちが見事に一致して出会う事になったんだと思います。これが波長の法則です。出会うべきして出会っています。ありがたい繋がりです。
おとといのオリンピック招致プレゼンで佐藤真海さんのスピーチがすばらしかったですね。
「私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。中略。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。中略。貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。。。」
舞台をやってきましたが、指導にシフトしてからは、スポーツ競技にかなり関わるようになって、本当に今真海さんの言う事を感じます。
人を救うのはやはり人です。
指導者、コーチ、支える保護者、色んな人がスポーツを通して関わり、共育になります。正解は無いとは思いますが、まずもって、自我を捨て、熱意を持ってリスペクトを持ってお互い向き合い寄り添って明るく練習しているチームは、私は理想の形だと思います。これは家族も一緒ですが。いや、国も県も市も学校も。。。
新たな夢と笑顔を育む力、それをbodyworkで実現できたらと思います。

いや〜〜自分がしたことですが、彼女の笑顔に本当に嬉しくてたまりませんでしたよ〜♡(^▽^楽)(^▽^喜)
良かったね、お母さん、先生、Kチャン!出会えて良かった!!ありがとう!




〆(。。)本日の珠玉なお言葉  by宮崎 駿
◆ 才能とは、情熱を持続させる能力のこと。
◆ 創造的人生の持ち時間は10年だ。
君の10年を力を尽くして生きなさい。
◆ 朝起きて、すぐ布団をたたんでしまうっていうのをきちんとやるだけで、全然違うんですよね。それやるだけで、全然違う人間になるんですよ。
◆ 面倒くさいっていう、自分の気持ちとの戦いなんだよ。 世の中の大事なことって、たいがい面倒くさいんだよ。
◆ 半分素人の方がいいんですよ。それは自分が選択して、自分がプロだからやるんじゃなくて、自分がこれをやりたいと思うからこれをやっているんだという、やっぱり精神の方が大事なんですよ。
◆ 人に運命を委ねない。
◆ あなたは消費者になってはいけない。
  生産する者になりなさい。
◆ 人恋しくなるほうが良いんです。ずっと人と付き合ってると、うんざりしてくるんです。だけど、一人でいると誰かと会いたくなる。だから、ちょうど良いんです。
◆ 一つの仕事を一生懸命やれば、マイナスの部分が生じることもある。それでも精いっぱい力を尽くして生きるしかない。
◆ 一度怒られたくらいで、ダメになってしまうんじゃ、こっちが困る。怒られたら、次は30センチ近寄るくらいでやれ!と言いたい。
◆ 無意識の、もっと底に行かなきゃいけないんだよ。無意識じゃないんだよ。どこに繋がっているんだか分かんない底に行くんです。作品ってそうだよね。意識の下が、全部無意識だっていう考え方は間違いだよ。無意識っていうのは、個人のもんだけど、もっと下に個人のものじゃないものがある。
◆ すぐインターネットで検索するのは、やめたほうがいいと僕は思う。それで分かった気になったら、それでおしまいになる。分かったことにならない。
◆ 人間は決定的なことって言葉で考えたりはしないんです。「どうして僕は、彼女が好きなんだろう」って考えたりはしない。そんなことは分析したって無駄なんですよ。
◆ なんとなく歩き回って、たまたま本屋入ってもね、けっこう出会うもんですよ。自分の興味持ってるものは出会うんですよ。探さなくても、慌ててインターネットに飛びつく必要はないんですよ。だって、時間かけて集めたほうがいいもん。
◆ 困ったことにひとりでいるのが結構、好きなんですよ。ひとりでいる時間は、しっかり確保したいんですよ。何してるのかって言ったら、別に難しい哲学的なことを考えてるわけじゃない。ただひとりで呆然としてるんですよ。その呆然としてる一定量が要るんですよ。
◆ 機嫌のいいときにたそがれどきの街を歩くと、けっこう風景に親しみを感じたりするわけですから。だから素直にもう一回自分のまわりを見てみようと、「耳をすませば」をつくったとき、そう思いました。
◆ 感受性も刻々と変化するでしょう。いつもなら「いいなあ」と思える景色が、今日は条件が全部揃ってるのに全然目に入ってこないとかね。それから、なんでもないくだらない状況なのに、やたら景色がよく見えるとかね。それは、みなさん経験してることだと思いますよ。
◆ つまらないことを子どもに自慢してる親は説得力がないんですよ。自分の非常に愚かな、空洞化した価値観を子どもに押しつけようとする結果、子どもは困るんですから。相談している母親、あなた自身が自分のことを考えたほうがいいんじゃないっていうことが多いですね。
◆ 考えてみれば、こんなバカな国はないですよ。全部を係数化してしまったんですから。土地も自然も生活も学校の成績も、人間そのものも係数化してしまった。偏差値教育がその際たるものだと思うのですが、そんな教育の中から援助交際や少女売春が起こるのは当然のことですね。
◆ 子供がある肯定的なものに作品の中で出会ったときに、こんな人いないよとか、こんな先生いないよとか、こんな親はいないよって言っても、そのときに「いないよね」って一緒に言うんじゃなくて、「不幸にして君は出会ってないだけで、どこかにいるに違いない」って僕は思うんですよ。
◆ 児童文学というのは、人間の存在に対する厳格で批判的な文学とは違って、「生まれてきてよかったんだ」というものなんです。生きててよかったんだ、生きていいんだ、というふうなことを、子どもたちにエールとして送ろうというのが児童文学が生まれた基本的なきっかけだと思います。
◆ よく「自然を大切にというテーマで映画を作ってください」とか「ゴミ問題を扱ってゴミ怪獣が出てくるのはどうでしょう」っていう手紙がくるんですけど、最低ですね。そういう脳みその表面で思いついたようなことは、映画作りには何の役にも立たないです
◆「おまえのところには悪人が出てこないな」っていうふうに言われますけど、悪人が出ないようにしてるんであって、僕は回復可能なもの以外は出したくないです。本当に愚かで、描くにも値しない人間を、僕らは苦労して描く必要はないですよ!
◆ 模倣は非難できない。通俗文化の領域では、真似から始まり、しだいに自分のものを出してくる者が多い。かといって、達者に見えて真似から一歩も出られない者も多い。
◆ キキは魔女として生きていけばいいわけだけど、トンボは試験に合格して大学に行って、仕事をみつけなければならない。それができて初めて「ぼくとデートしてください」とキキを誘うことができるんです。
◆ 女性の場合は、そこにいるだけでキャラクターとして成り立つんですが、男性のキャラクターを成立させるには社会的な立場や地位、もしくは何らかの宿命を背負っているといった、目に見えない何かが必要なんです。
◆ 映画でキキが運んでいったパイが、ああいう扱いを受けたっていうので腹を立てる人はいっぱいいると思うんだけど、気がつかないうちにその腹を立てられる側をやってるんですよね。
◆ 自分で、すぐ自分を許せる人間は、大した仕事をやらない。
◆確かに僕は矛盾に満ちているかもしれない。でも仕方がない。矛盾のない人間はたぶんつまらない人だ。
◆ 希望というのは善だいいものだと思っているわけでしょ。必ずしもそうじゃないですよ。暗い時に希望というものを作り上げて、それによってごまかしている部分があって、いい加減な希望より絶望の方がましだと言う人間もいるくらいですから。映画がいつも希望を語らなけりゃいけない、なんて僕は思わない
◆ 森を壊し自然を壊す人間たちを悪人で、レベルが低くて野蛮な人たちだと言うなら、人間の問題というのはずいぶん解決しやすいんです。そうじゃなくて人間の最も善なる部分を押し詰めようとした人間たちが、自然を破壊するところに人間の不幸があるんです
◆ 私たちが、貴いと思うものはみな自然界から手に入れたものではないでしょうか。雲間から光が差し込むと“荘厳”な感じを抱き、雲の向こうに何かがいるのではないかと思う。人間の力を超えた何かがある。それは不条理で圧倒的な力を持つ存在なんです。
◆ やっぱり日本人はシシ神を殺したんだと思いますよ、室町期くらいに。そして森を恐れなくなったんだと思う。本当に室町期かどうかは、地域差がずいぶんあるはずですから妖しいんですけど、少なくとも古代から中世のある時期までは、ここから先は人間が入っちゃいけない場所だっていう境界があった。
◆ 死の棘をアシタカは体内に入れて生きていくわけです。それが21世紀の人間の運命です。棘なんかないよと言っている人がいますけど、それは嘘ですね。幸せな明るい未来が待っているとか、そういう根拠のない希望を謳ったってしょうがない。だからと言って生きるに価しないのかというと、そうじゃない。
零戦零戦と騒ぐマニアの大半はコンプレックスで凝り固まり、何かに誇りを持たないとやっていけない人間です。思考力や技術力を超えた堀越二郎の天才的なひらめきの成果を、愛国心やコンプレックスのはけ口にして欲しくはない。僕は今度の映画で、そういう人々から堀越二郎を取り戻したつもりです。
◆ もちろん、憲法9条と照らし合わせると、自衛隊はいかにもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍に しないほうがいい。職業軍人なんて役人の大軍で本当にくだらなくなるんだから。今、自衛隊があちこちの災害に出 動しているのを見ると、やっぱりこれはいいものだと思います。
◆ 『風立ちぬ』で、僕は戦争シーンや戦闘シーンは描いていないです。それは、アフガニスタンイラク、シリアなど、世界中で同時多発的に惨憺たる状況が生まれていますから、それを見ない人は戦争の話もできない。現実を見ない人ですから。
◆ 誤解を招くかもしれませんが、庵野は現代で一番傷つきながら生きているんですよ。それが声に出ている。初めは庵野が喋っていると思ったのですが、映画が最後までいったらちゃんと堀越二郎になっている。それがとても良かったと思います。
◆人間の世界から外れたところには、何かがいるという自然観を日本人は持っていたんです。だから、自然に対して謙虚で、慎ましい態度をとっていました。ところが自然に対して優位に立つと、その畏れを捨てて振舞ってきた
◆ ぼくは地球の地殻変動や自然災害というのは、人間の営みとまったく無関係じゃないとどこかで思っているんですね。人間社会の行き詰まりなんかとちゃんとつながっているんじゃないかって気がしてしかたがない。
地震はこれまで何回もあったことがまた起こったんです。たくさんの悲劇がありましたが、震災を受けた人たちは、乗り越えていけると思います。ですが 原発の問題はね、これはエネルギーを過剰消費していく文明のありように、はっきり警告が発せられたんだと思うんです
◆ 大量消費文明が終焉する第一歩なのかどうか、僕にはよく分からないが、今の世の中は緊張感に満ちていると思う。かつて堀越二郎堀辰雄もこの先どうなるのか分からないということについて、どうもこれはまずいと意識しながら生きたに違いない。堀越二郎堀辰雄が生きた時代と現代に、同時代性を感じた
◆ 突如歴史の歯車が動き始めたのです。生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。この国だけではありません。破局は世界規模になっています。おそらく大量消費文明のはっきりした終わりの第一段階に入ったのだと思います。
◆ 福島の原発が爆発した後、風が轟々と吹いたんです。絵コンテに悩みながら、上の部屋で寝っころがっていると、その後ろの木が本当に轟々と鳴りながら震えていました。爽やかな風だけじゃない、轟々と吹く、放射能を含んだ風もこの世界の一部なのだと思いました。風は世界だと。
◆ 自分たちは正気を失わずに生活をしていかなければなりません。「風が吹き始めた時代」の風とはさわやかな風ではありません。おそろしく轟々と吹きぬける風です。死をはらみ、毒を含む風です。人生を根こそぎにしようという風です。
◆ 人間のやることには必ず愚かなことが付きまとうから。権力はすぐに腐敗するし、歴史はいつも残酷な結果を押しつける。要するに、この世界は不条理だということ。悪いことをしても天罰が下るわけではなく、良いことをしてもお褒めに預かるわけではない。じゃあ何が違ってくるかというと、「顔が違ってくる」
◆ 先頭を切って一生懸命やんなきゃ話になんない。死ぬ気でやるしかないんです。どんな方法でもとにかくあげるしかない。自分の人生のためにやるしかないんです。
◆ 今の世の中全体のことで、政治がどうとか、社会状況がどうとか、マスコミがどうのこうのということじゃなくても、自分ができる範囲で何ができるかって考えればいいんだと思います。それで、随分いろんなことが変わってくるんじゃないでしょうか。
◆ 自分の今いる場所で、可能な限り誠実に、力いっぱい生きるしかない。世界のあらゆることに関心をもち、政治情勢によって自分の行動を決めるなんてことはできないですから。職業人は職業に専心することによって、小さな窓から世界を眺めて、初めて世界を感じ取ることができるんじゃないでしょうか。
◆ ぼくは生まれてこないほうが、良かったんじゃないかなって思ってる子に、「生まれてきてよかったんだよ」って言ってあげるんだよ。


▼昨日の子が時間が経つにつれて笑顔になっていくのを見て、私のbodyworkはこのためだと改めて確信しました。
国家資格も何もない人間でもこれだけのことを、熱意でできる、ということを自分でも驚きですが。。。少しお恥ずかしながら。
宮崎監督がアニメを通して若者に伝えたいことは、一番最後の
>ぼくは生まれてこないほうが、良かったんじゃないかなって思ってる子に、「生まれてきてよかったんだよ」って言ってあげるんだよ。
というのに集約されている氣がします。
競技スポーツは、やはり勝敗にどうしても行きがちです。
でも私は、わくわくしているのか?その1点でも結果はついてくると思うわけです。そんなの〜〜と思われるかもしれませんが、私はそれを実際見てきてるし、本当の結果は、人生の最後に!、、、です。
柔軟がつらくて眉をひそめるコが、楽しく体を開く、怪我や故障や歪みに悩ンでいるコに、きちんとした体の使い方とセルフケアで、直るんだよ、できるんだよともっともっと教えたいです。
私もたいしたダンサーでは無かったし、ケアも知りませんでしたから体も硬かった。ヘルニアもやりました。でも自分で改善しました。つい10年前は自分がこんなことになっているなんて想像もしませんでした。でも可能なんです!
足が短いとか背が低いとか踊りが下手とか故障だらけコンプレックスだらけのダンサーでしたが、今その事がすべて役に立っています。ありがたいです!
所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!‎」というTV番組がありますが、私は整体や病院で教えてくれないそこんトコロ!‎のbodyworkをこれからもやりたいと思います。経験値が最大の力を発すること、動かす体を作ること、動ける身体の喜びを届ける事。
それはアスリートにも仮設住宅のおばあちゃんにもなんら変わりない基本のことであり、やりたいことです。柔軟になるのは二の次です。
自分には原発とか世界平和とかそんな大きい事を動かしたり、意見を述べる様なことは出来ません。自分ができることを毎日全身全霊でやるだけです。
どうぞ、「知らない」で謝った選択だけはしないように、、、知識を得て、やるだけのことをやってからでも遅くはないと思いますので、何かで悩んでいる方は是非一度おいでになってみて下さいね。
壁を叩くのではなく、扉に変えましょう。
輝いて欲しいです!


本日も朝からレッスンです。わくわくです。
happyなきらきらな一日を ⁎❛ั◡❛ั⁎☆” ⁎❛ั◡❛ั⁎☆” ⁎❛ั◡❛ั⁎☆”