eigonだって泳ぎたい あひる解剖学

あひる解剖学 hatta method  * BODY WORK

毎日新聞・医療プレミア / ダルビッシュを育てた若生正廣監督

おっはようございます。


本日より、毎日新聞・医療プレミアにて掲載しております。エコノミー症候群予防セルフケアです。よかったらご参考になさってください。
http://mainichi.jp/premier/health/articles/20160502/med/00m/010/011000c

普段は有料サイトですが、地震関係はフリーで閲覧できるようです。





昨日は、埼玉栄高校野球部120名とケアとコアトレなどを爽やかに〜。しかし、多っ!笑 9人だよね、野球って、、、笑
先日、有望ピッチャー4人がスタジオに体験に来てから、えらく気にいって頂き、今回の講習会に繋がりました。
いや〜びっくらぽんです!野球界には疎くて、存知上げなくて失礼千万ですが、監督は、ダルビッシュ有選手を東北高校の時に育て、甲子園に通算26戦行かせている、怪物監督さんでした。
著書もサイン入りでいただきました、恐縮です。
西大宮から帰宅まで、一気に読破しました。
いや〜〜。この本を知っていなかったのは、人生でかなり損でしたね。そのくらいの内容でした。珠玉の1冊です。
是非、野球やスポーツに限らず、カラダのことに関係している方や、指導者さんには是非読んで頂きたいです、とても大切な事が書いてあります。
特に、その選手の人生を考えた時の、学生時代に怪我をさせない、目先の勝ちばかりに走らず、長持ちさせる選手に育てるためのこと、人として、大事なこと、を本当に実践して指導されてきた監督の心の持ち方が素晴らしいです。
実際にダルビッシュ選手が、部屋の天井に貼って実践したという、心技体を万全にすること、をどうぞ、よく読んでみてください。(写真は実物だそうです)



ダルビッシュ有 大投手への道
〜心・技・体を万全にすること〜


一、素直な心を持つこと。
 (理解力)
二、人間の好き嫌いをなくすこと。
 (相談相手になること)
三、常に平常心を保つこと。
 (嫌なことがあっても、態度や顔に表情を出さないこと。
  マナーを良くすること)
四、父、はは(両親)を大切にすること。
 (お母さんには、いつもマッサージをしてあげたりお茶を出したり、
  お父さんには、友達のように何でも話をすること。)


一、ピッチングフォーム通りに投球すること。
 (体重移動をスムーズに下半身の力で投球すること)
二、全球、闘志を持って投球すること。
 (例え、ゆるいボールであっても心を込めて投球すること)
三、常に状況を考えて投球すること。
 (常に、冷静になること)


一、常に健康に気をつけること。
 (よく食べ、よく寝て、よくトレーニングをすること)
二、柔軟な体力作りに励むこと。
 (ストレッチ、特に股関節、足首関節)
三、常に投球の感覚を忘れずにいること。
 (指のトレーニング)


彼のことももっと知ったので、これからは注目してみていきたいと思いました。素晴らしい選手です。
「日本最強 右腕の原点」若生正廣
是非お読みになってみてください。
して、読み終わって、私はなんて失礼な態度を、、と猛省しました。笑 
「人生の財は、友なり」
ありがとうございます〜!┏○)) ┏○)) ┏○))
練習後、3年生に、「1年生に教えてやれよ、いじめるなよ。」と真剣にお話ししていた監督の眼差しが印象的でした。


なんだか知りませんが、かなり高評価をいただきまして、今後もお願いしたいと次回の予約もされましたので、なんとか3年計画で甲子園へ!、そしてプロ野球選手を創り送る、お手伝いができたらと思います。


とても、偶然なのですが、拙著の本の中で、成長痛の項目のところで、ダルビッシュ選手のオスグットの例を挙げ、彼のイラストまで描いていたのは、予言だったのでしょうか?笑

今年は、以後も、ゴルフ、ハンドボール、重量挙げなど勉強しなければならないことを沢山課題を与えられましたので、さらに学びを深めたいと思います。
皆さんにも還元できるよう頑張ります。




〆(。。)本日のお言葉  by若生正廣

★野球で実際にプレーするのは選手たちです。彼らが自ら動かなければ、いいプレーはできません。もっと選手たちの自主性を引き出さなければならない。


★選手たちの自主性を引き出すために逐一指示を出すのをやめ、代わりに選手と対話を重ね、どういうことを考えているのかを聞くようにしました。そうすることで、選手たちも自分でいろいろ考える習慣がついていきます。このように接し方を変えてからですね、甲子園でも勝ち進めるようになったのは。


★最初の10年くらいは思うようにいかなかったですね。春の甲子園に3回出場しましたが、いずれも初戦で敗退。夏は県予選を突破できず、どうしたらもっと強いチームを作れるのかと悩みました。その末に考えたのは、監督である自分が先頭に立って指導するそれまでのやり方ではダメだということでした。


★私は小さい頃から野球ばかりしてきました。高校は地元、宮城県東北高校に進み、夏の甲子園にも出場。法政大学、社会人でも選手を続け、引退後はスポーツ用品の営業をしていました。その時、たまたまつけたラジオの番組で、「人間はなぜ生まれてきたのか」といったことを論じていたのを耳にしたのです。その中で「人生で一番大事なのは、いかに人のために貢献したかだ」という意見がありました。これを聞いて強く思いました。「自分は今まで他人に貢献したことはないな。これからは人の役に立ちたい」と。そして野球ばかりしてきた自分でも、野球の指導者になり、野球好きの子供たちを教えれば、人の役に立つことになるのではないかと思い立ちました。これが高校野球の監督になったきっかけです。


★手術が成功しましたが杖をついて歩く姿を人に見られるのは最初、あまり良い気分ではありませんでした。しかし、そうした考えはすぐに変わりました。「球場やテレビで見た私の姿に励まされている」などと、同じような不自由を抱える同世代の方から声をかけられるようになったからです。思いもよらず、私の姿が他人を勇気づけている。人の役に少しでも立っているのなら、もっと頑張らないといけないと思ったのです。



▼出会いに感謝します。




今日は五月晴れの東京です。GW自然の中でゆったり〜!
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