eigonだって泳ぎたい あひる解剖学

あひる解剖学 hatta method  * BODY WORK

ストレッチ時は、デリケートに!

おっはようございますぅ。


昨日は、DRT勉強会、白金台カイロプラクティックさんに見学〜。大変勉強になりました。

治療家さんたちの反復練習と向上心。色々なお話も聞けて、さらに自分も精進しないとな〜と。
参加させて下さった宮川先生、お邪魔虫させてもらった皆様ありがとうございました。 (*・ω・)*_ _)ペコリ



昨日の手技の優しさに感化されて、
◉今日のお勉強は、ストレッチ時は、デリケートに。
カラダのどの場所も、安定を求めています。
ただストレッチすればいいものではないです。ストレッチしないほうがいいくらいな感じ。笑 縮んでいるところだけすればいいんですがそうもいかないのでしょう。笑。静的ストレッチより動的ストレッチをお勧めします!
例えば手首:カラダの構造(骨のアライメント)を考えて(角度など)セットし、手を添えて、徐々に伸ばす、できれば伸縮を繰り返しながら、必ず反対側もします。蛇腹状態でやるイメージ。
(※写真は見やすいような角度にしています、本来まっすぐ)

この反対側をする、ということと、手を添えるは大変大事です。
(手を添える分、安定と同時に無理なく可動域が出ます)
「ドョビャーッァァァ〜とストレッチ」は危険が危ない。剥離骨折、プチっといく、なんてすぐなります。
脳が安心して動くのと、拒絶して動くのでは全く効果も違います。
カラダに手も心も添えてくださいね!




〆(。。)本日のお言葉    by 植松 努

ネットはとても便利です。
僕は、夢をかなえるためには、夢をどんどんしゃべった方がいい、と思っています。
ネットも使えます。ネットでもどんどん発信していると、それは様々な力をつなぐきっかけになります。
先日の滋賀での講演のあとの、主催のKMPさん関連の情報発信量は莫大です。この発信量が、あの活動のパワーを象徴していると思います。

でも、ネットで発信していると、
匿名性が高いほどに、いろんなことを言われます。
それで苦しんだり、傷ついたりして、
せっかくの発信をやめてしまう人もいます。
僕も以前はカムイスペースワークスブログというのをやっていましたが、そのブログの読者の人を攻撃するあまりにもひどい人がいたために、やめてしまい、facebookにしました。
基本的に実名登録のfacebookでは、むちゃくちゃな人は減りましたが、それでもまだ、めんどくさい人はいます。

昔は、無茶な人には反論していましたが、
あることがわかってきました。

(1)他人のブログなどに批判する人に限って、自分のサイトは、「おいしそうな食べ物」の写真ばかりか、他人の言葉や他人のサイトの引用ばかりで、自分の意見の発信がとても少ない。

(2)「普通は」「常識的には」を連呼する。
=自分の意見がないか、とても自信が無いです。だから、大きなものの傘の下で戦おうとします。

(3)論点をすり替える
=そもそも、自分の不愉快をぶつけてきただけなので、最終的にどうしたいのか?という未来が見えていない人は、どんどん論点がずれます。

(4)負けそうになったら被害者を演じる。
=そんなら、けんかを売らなければいいのに。

こういう方々と、議論をしても、時間の無駄です。
だから、最終的な答えは、
「すみやかに出禁にする」です。

僕は、沢山のお手紙や、感想文をもらいます。
でも、その中に、一つでも「死ね」というのがあったら、それだけで、もう、死にたくなります。
こんなに苦しんで努力していることが、ムダなのか・・・と感じます。
でも、それに僕が負けてしまったら、「人の自信や可能性を奪う人に負けない人」を増やそうとしてることがパーになります。
おまけに「死ね」なんて言う人は、人間的にひどい人です。そんな人の言うなりになるなんて、悔しすぎます。
だから、意地でも死なないです。

他人の意見を批判する人の気が知れません。
「教育してやる!」とでも思ってるのでしょうか?なにさまですか?
たとえば、コアラのマーチが好きか?タケノコの山が好きか?で、
言い争う必要はないです。相手を批判したり否定したりする必要はないです。好きな方喰えばいいじゃん!とおもいます。

大きな災害があると、「自粛」という声がわきあがります。
「不謹慎だ」という声も上がります。
でも、その瞬間だって、結婚してる人もいます。子どもが生まれてる人もいます。喜んじゃダメですか?
大きな災害じゃなくたって、大切な人が亡くなってる人もいます。
新聞のお悔やみ欄が、からっぽなんてないでしょう?
なんでみんな自粛しないの?

大事なのは、他人の批判ではないです。
批判してるヒマがあったら、自分の考えを発信したほうがいいです。

僕は、先生という仕事の重要性や責任について書くことが多いのですが、それに対して、「そうは言っても、現場は忙しいんだ!あんたは現場をなにも理解していない!知らないくせに知った風なことを書くな!」と怒られることがあります。
でもね、この人は、僕が指摘した問題の危険性を知っています。そして、忙しいからその対策が出来ていないことも知っています。ということは、教育の現場でまずいことが起きていることを知ってるはずです。だったら、現状の報告をして、発信者である僕に文句を言うのではなく、自分だったらどうするかを考えて行動すればいいだけだと思います。
問題のある先生のことを書くと、「そういう先生ばかりではない。決めつけるな」と怒られます。でも僕は、すべての先生に問題がある、なんて書いていません。そして、この人は、問題のある先生がいる事を知っています。そうではない先生がいる事も知っています。
そんな、わかりきったことを説明されてもこまります。
大事なのは、自分がどうしたいかを考えることです。

そして、一人で出来ることに限界があったら、仲間を探すために発信したらいいです。
でも、その発信が、批判されたり、波風立つかな、とおもって発信できないから、いつまでも一人ぼっちで、出来ることに限界がある、という状態では、何も変わらないです。

みんなが安心して自分の考えを発信できるようにするためには。
みんなが、一人ぼっちじゃなくて済むようにするためには。
他人の意見を批判する行為をやめたらいいと思います。


▼とても共感します。
私はカラダのことを発信しているのは、一つの社会貢献であり、自分が発見した些細なことですが、一人でも何か助かることに繋がれば、との思いです。もしかしたら間違っているかもしれませんが、「提案」という形で書いているつもりで、断定はしていません。(私にもし何かあっても、提案しておけば、ネットに残るので、誰かの役に立つ可能性がありますから)
でも、捉え方はそれぞれなので、色々おっしゃる方も中にはおられます。私も神ではないので、完璧でも正解でもないです。
ただ、発信しないでいることで、何か詰まっているものがいつまでも変わらないより、発信して1ミリでも前進してくれた方が後悔が無いのでそうしています。
私も過去に一度、ブログを閉じたことがありました。大変つらい時間が流れました。
でも結局貝になると、そっちの方が苦しかったから、仲間から励まされ、再開することになり、今のブログになっています。
なかなか、発信の仕方も難しいですが、常に細心の注意を払いながら、でも小さくまとまり過ぎないように、愉快にこんなんどう?ほんまでっか〜的に書いているつもりです。
賛否両論あるとは思いますが、そういう感じで、興味ない時はスルーして頂いて構わないので、ゆるりとおつきあいください。
改めてよろしくお願いいたします。
ちなみに
>苦しんで努力している
私は楽しくやっていますので、この点は大丈夫です。笑



今日もレッスンでお待ちしております!ラボしましょう!
happy new week!! (๑′ᴗ‵๑)/