eigonだって泳ぎたい あひる解剖学

あひる解剖学 hatta method  * BODY WORK

楽しきと思うこと。

たまにはゆるいゆるい精神哲学いきましょか。(多分自分がそう欲しているんだろ。。。あは)いや、精神哲学ではなく叱咤激励myselfですね。

いや〜基本ですね。ほんとの、基本。敢えていうまでも無いくらい。
でもやはり基本、初心を人は忘れるわけですよ。


「楽しきと思うが楽しきの基なり」松平定信


happyであること。happyに思えること。そうすれば、だいたいなことは乗り越えられる、と思うわけです。
楽しくしないように無意識に選んでいるのは自分自身だということ。

なぜ、今日はそれを言いたいのかというと、日曜日、私の大好きなリスペクトするTAPの先生のライブに行って、踊っている皆さんの笑顔を見て、本当に心から楽しくてしょうがないっ!というのを感じ、すごく私の魂が喜んだものでね。私は本当に楽しくてしょうがない毎日を送れているのか?という確認でもあります。自分が楽しくなければ、発光してなければ、出逢う方々にも光を届けられないから。。。TAPの先生も出演者の方も皆ミラーボールの様にぴかぴかに光り、こちらにもそのbeamを下さいました!すごいパワーを頂きました。

何は無くても、この「楽しくてしょうがないっ!」毎日を過ごせれば、病気にもならないし、不平不満も出ないし、元気に歩けると思うんですよね。一点の曇りも無い楽しい感じ。仕事も家庭も人付き合いも全てが楽しくてしょうがないっ!



ずっと前にある本で、人間が一番悲しいのは、誰からも相手にされなくないことだと読みました。私は大いに幸せ者です。賛否両論あっても相手にされているわけですから。賛否両論あって至極当然ですし。無ければ、人類は破滅していますよ。いろんな意見があるから人類は進歩してきたのです。衰退しないようにしないとっ!前進あるのみっ!


家族や友達、恋人、夫婦、けんかしても、文句言われても、相手にしてるからそうなるんだと思います。気にしなければけんかすることもない。「用がある」から人間は寄り添うのさ〜。寄り合えばけんかぐらいするのさ〜。けんかする相手がいる幸せ、happyだぜ!修復しようとするその気持ちが美しいと思う。それで絆が深くなる。相手の事がまたひとつわかる。筋肉も壊れて強くなる。


今朝テレビスッキリで、劇団四季の『ユタと不思議な仲間たち』という作品の東北公演の裏側ドキュメントを拝見しました。素晴らしいです。一人で見てたんでテレビの前でもう号泣なんてもんじゃない。あはは(私は劇団四季は大好きでよく色んな演目を観ていますが、特にこの作品はもう台詞も歌も踊りもすぐできるくらい入れ込んで何度も見ているのですが、自分が南部地方出身だからもあり、余計力が入るわけですが。。。daughterも小学生の学習発表会でこの作品を演じました。縁のある作品ですね。。親子で号泣でした。)
その中に、座敷わらし軍団の親分ペドロがいう台詞。「お前に用があるからよ」というシーンがあります。『用』とは、「必要なもの」ということですyone。「縁」であり、「宝物」であり「かけがえのないもの」、そして「思い」だと思います。

私も本当にいろんなことが人生にあったので、今はそれも変わりませんが、その都度学ばなければならないことを神様に道を照らしてもらっているようで、人生に本当に何も無駄なものは何ひとつないのだな〜と思います。
旅はまだまだ続くでしょう。どこに行くのか私も今岐路にいてさまざまな人と話して、選択する道が間違ってたら引き返せばいいし、とにかく何もしないでいるのが1番やなだけです。

やって自分で感じて経験してその時の答えみたいなものを出してみる。そして数年か後に、それが間違いだったかまだまだ考え方があったとか?なんていうことに気づいたりしながら、何度も何度も同じ様なことを繰り返しながらここまできました。きっと死ぬまでそれは続くのです。本当に今だにあの時のあの選択や答えは正解だったのか?と思います。でもどうやったって過去は変えられないから、未来の方を変えればいい、そう思って邁進しています。自分の行動次第で未来を変えられるんだから、これは面白いですぜ。


やってみないとわからない!  じゃん。。。


やらなければ何もわからないさね〜。私は決して素晴らしい人でもなんでもないです。天才ならこんなことしてない、能が無いから、凡人だから努力しかないのです。

ま、一言でいうなら、いつも真剣勝負、本気モード(時々休憩だら〜)かな。そうじゃないと、相手に届かないと思うから。どっか出し惜しみしたり、ご機嫌を伺って、打算的になんてしたら、即刻分かるよ。ずるい、自分を誤魔化すことは結局は人を誤魔化すことになるんだと思っています。

私は完璧じゃない、誰も完璧じゃない。でも誰かが誰かと出逢う事で何かを産み出せるかもしれない。それが人と人の思わぬ化学反応で、一人じゃ決してできないことだと私は思っています。結局人は、一人では生きて行けないし、生かされているのだということに気づくのです。そして、でも生きて行く、という強さを持たなければならない、ということにも気づかないとならないということもです。

君がいて〜ぼくがいて〜世界はまわる〜〜♪ いや、特になにかの歌ではないです、てきとう〜あはは。

私がグラフィックでお世話になっている会社のミニコミ誌でスタッフがとても素晴らしい事を書いていたのでご紹介しますね。

思考は肯定(YES)と否定(NO)によって、
感情は「快」と「不快」で、
肉体はその「習慣性」で物事を決定します。
それぞれが本来の役割を持っていますが、私達はよくその使い方を間違えてしまいます。例えば相手にその熱意を伝えるにはもちろん「感情」で伝えるべきなのですが、これを「思考」で伝えようとすれば、いわゆる「理屈っぽい」という印象しか与えられず決して相手を満足させることができません。あるいは新しい事を始めるにあたって、その方向性は「思考」で決めるのが良いわけですが、これを「肉体」で決めてしまうと「いつもと同じように」それを行ってしまうといった具合です。この「思考 /感情/肉体」の使い方がうまい人を「バランスの良い人」と呼んでいるような気がしています。

>熱意を伝えるにはもちろん「感情」で伝える
おそらく感情的なという事ではないです。心から、ですよね。
>「肉体」で決めてしまうと「いつもと同じように」それを行ってしまうといった具合
これが無意識です。

少し難しい話になりますが、

哲学者のユングは、心の構造を意識と無意識に区別し、フロイトが無意識を個人的なものと考えたのに対して、ユングは無意識には「個人的無意識」と「普遍的無意識」の2種類があると想定しました。個人の経験から獲得された無意識だげでなく、人類に共通する無意識の世界を探求することがユング心理学の大きな特徴です。ユングのいう個人的無意識には、個人の経験から生じたもので、忘れてしまった記憶や、抑圧されている意識、衝動、願望などが含まれています。これが体を動かす時にいたずらをすることがよくあります。本当に不思議な事が多々ありますよ。トラウマもそのひとつです。

以前パーソナルレッスンに参加された方で、左足甲に何かがないと柔軟が深まらない方がいて、甲に左手やタオルをかぶせると柔軟度が明らかに増すのです。なんでか本人もその時はわからなかったのですが、お母様に電話をしたら、まだ物心つく前かそのくらいに、左足の甲に何か物が落下して凄い痛い思いをしたらしいです。それでメールを頂き、私と彼女と二人で納得しました。不思議ですね。

例えば、歯みがきの作業とかトイレに入る順序とか、意識的にしている方はいないと思います。なんとなく、無意識化された動きになっていますよね。それが運動する時も無意識かされてる動き方、というのがあるわけです。

なので、故障や、いつも痛くなる所って同じなんですよね?おそらく捻ったり、そこを使うように使うように無意識になっているのです。

これを見つける作業は自分ではなかなか難しいかもしれませんね。私でもそうです。

ひとつに、シンメトリーとアシンメトリーですが、(左右対称と非左右対称)まずがこれをなるべく左右差無くすることを普段から姿勢、歩き方、行動すべてに気をつけること、です。レッスンに来た右肩が下がっている男性は、運転時に右肘つく癖をお持ちでした、そんなものです。
どうしてそうなのかわからないと本人はおっしゃってましたが、明らかな事で、無意識な事なので本人にはわかりません。第三者にいろんなことを発見してもらうといいかもしれません。日常の行動をすべて書き出して、自分はどうやっているかを調べて改善点は直す。体を動かすのに無意識な癖ほど厄介なものはないですよ、また訓練された無意識化されたものは強みでもあります。同じ無意識でもこうも違うかと思います。

ちなみにおべんちょ〜の為に、もうひとつの普遍的無意識とは、個人的に獲得されたものではなく、祖先から遺伝的に受け継いだ、全人類に共通の記憶やイメージが眠っている場所、文化や生活環境が異なる世界各地の神話や、夢の話などに似通った話があることこそが、人類に脈々と受け継がれる共通の記憶があることの証拠であるとしています。日本人だからこそ共通に感じるもの、とかですかね?世界を見ている人はここが違いますね。日本の価値観だけだと狭いし、窮屈。スポーツにおいてそれはよく感じます。

もうひとつ、ある方に、「どうして柔らかくなりたいのですか?」と聞いたら、「見栄です」と答えました。私もつい、一緒にいた方々も笑ってましたが、結構そういう方多いかもですね、非常に正直だと思いました。私も10〜20代の頃はそれの塊だったと思います。でもその方は結構な大人な年齢なので、それはいかんぜよ、、、と申しました。結局それは比較論になるからもあるし、見栄ということは、無理して頑張る事で、自分に冷静でいられなくなることでケガにつながるからです。からだを動かすのに自分ときちんと向き合わないと、ふわふわした状態でいつも抜け殻で体を動かしているので、なかなか上達しにくいです。前にバレエのレッスンでの話で書いた事がありますが、緊張し過ぎて、1時間半のレッスンで何がなんだかわからず、何をやったかさえわからないで終わるパターンが多いんです。そして何故だか筋肉痛だけがすごくてね。かなり体を硬直させているということです。

だから、始めは見栄でも、なにしろ体を動かすのは悪くないので、見栄から自分へ集中、自分に向き合う事にシフトして下さいね。眉間に皺をよせないでね〜〜。ほげ〜っとね。


思考は肯定(YES)と否定(NO)

感情は「快」と「不快」

肉体はその「習慣性」

で物事を決定

楽しきと思うが楽しきの基なり。

多分、否定から入る思考は楽しくはない。不快から入る感情も、不快だらけの感情も楽しくない。習慣性のある肉体に早く気づき直さないとと楽しくない。

楽しくないのをわざわざ選択している方々の実に多い事。。。
そんな選択は、さっさと洗濯してね〜  はいはい。(`□´)コラッ!|(-_-)|キコエナイ…


人間は4日経つと、悪い事もいい事も忘れるそうですよ。
今悩んでいる事も4日後にはなんで悩んでいたんだろうと思うかも。。。はい。だから、悩まず、ちゃんと寝ましょうね!時が解決してくれることも沢山ある。悩んで解決しないものは、一旦封印してとらわれずに外へ出る、、とか気分転換を〜〜〜ですね。


私の大好きなパフォーマーのお一人なんですが、先日がんの手術をして、今も活動を続けています。昨日メールがきて、「生きているだけでも嬉しい。小さい事はなんてことないね」と。たまたまその時少しだらんとしていたので、しゃんとしましたね。五体満足な癖してなにやってんだ〜〜ってね。はい、しゃんとします。ありがとうne~~♪


今日も長い上になんのまとまりもなく、書きました。すいません。今日は完全に私的な内容で失礼しました。はい、そんな日もありますがな。


今日は夜レッスンで〜す。是非夏休みで時間がある方。。。いらして体を動かして下さいましねん。お待ちしていま〜す。



〆(..) 今日のお言葉  byフランスのことわざ 
What!  No star, and you are going out to sea? Marching, and you have no music?Traveling, and you have no book? What!  No love, and you are going out to live?
何だって! 星もなしで、海に出るんだって? 音楽もなしに、行進するんだって? ガイドブックもなしに旅に出るんだって? 
何だって! 愛もなしに、生きるんだって? 

                
▼愛があればなんでもできる。だ〜〜〜〜〜!!


今日も愛をぷしゅぷしゅ〜〜〜いきまっせ (*^▽^)r鹵~<巛巛巛愛情スプレー 
きらきらhappyな一週間を!(^◇^)/*:.。. .。.:☆・:*:゚*:.。. .。.:☆・:*:゚
愛と希望と祈りの日々を。。。。継続して絶え間なく。。。



●ご注意:このブログは、からだのことなど、(メンタル的なことも)一個人の私の経験の中で感じた事や学んだ事を書いていますが、決して絶対的なものでもなく、正しいかどうかもわかりません、断定しているものでもなく、強制するものでもなく、足りない事も多々あると思います。そこはご了承下さい。くれぐれも鵜呑みにしないで下さいね。もし実行しようとする場合、ブログの内容はご参考になって、無理は決してなさらず、ご自身の体の状態をご自身で判断し、ケガのない範囲で自己責任の範疇でお願い致します。また関連するブログや、そのことについての専門的な知識、情報も併せて調べたりして、より自分に合うものを活用するようご判断下さい。自分一人の頭で思いつく事を書いているので完全な説明ではないと思います。実際体を拝見しているわけでもなく、色々な方がおられるので、すべては標準化できないし、体の事は本当に自分の意のままにならないことが多いからです。くれぐれもケガのないようご注意をお願いします。ほんの少しでも皆様のお役に立つようになると嬉しいです。もののいい方も勢いで書いたりするし、時に楽しく、時にまじめに、時におふざけも入るし、どや顔に感じることもあるでしょう。表情や微妙な気持ちや考えも温度も文章の表し方が下手なので誤解をされる場合も多々あると思いますが、大目にみて下さい。あったり前ですが、悪意はまったくありません。